サーキットの狼で車の魅力を知った昭和の少年のあるあるネタ

昭和50年代初頭、子供達がスーパーカーと呼ばれる、スポーツ車の魅力に取り憑かれた時代がありました。

そのきっかけを作ったのが少年ジャンプに連載されていたマンガ『サーキットの狼』でした。

『サーキットの狼』で車の魅力を知った昭和の少年が、その後、どんな道を辿っていくのか、そのひとつの例として、私の少年時代の体験を、あるあるネタとして読んで頂けたら幸いです。

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マンガで初めて泣いたのは『サーキットの狼』

サーキットの狼』に読んで泣けるシーンなんてあったか?

なんて言わないでください。

分かりますよね。あなたなら…

小学生には泣けたのですよ。

「沖田〜〜〜」が。

公道グランプリのゴールシーンですよ‼︎

今、私は『サーキットの狼』のマンガを読み返さずに、40年近く前の記憶だけで書いているので、自分でストーリーを自分なりにクリエイトしちゃっているかもしれません。そこは笑って下さい。

ゴール寸前でハンドルを握ったまま息絶えた沖田。

風吹裕矢が

「沖田〜〜オレを見守っていてくれよ〜」(クリエイトしちゃってるかな)

そんなシーンがあったはず。

沖田と風吹の間にそんな深い友情が出来るほど関わりがあったかどうか思い出せないのだけれど、とにかく「Okitaaaaaa」なのです。小学生の私の目に涙が滲み始めたのです。

病いを持っているキャラクターに『沖田』と名乗らせてしまう。これは、読むほうの受け手も、これを「うむ、これで良し」と、黙認する。日本人ならもうこれは、自然に受け入れてしまうのです。

ちなみに、『狼』の沖田より『宇宙戦艦ヤマト』の沖田艦長の方がちょっとだけ先の登場です。しかし、『狼』の土方さんのほうが『ヤマト』の土方艦長より先の登場ですよね。まあ、どっちでも良いですが。

そして、小学生の時に『サーキットの狼』ファンになったなら、だれもがときめいた単行本の第2巻。ブログの規約上、ここでは書きませんw

『サーキットの狼』の魅力

個人的な見解ですが、やっぱりロータスヨーロッパのカッコよさ。

判官びいきの日本人の心をくすぐったワケです。排気量1600ccで並み居るスーパーカー軍団と競い合う。

1,600ccって、当時のウチのとっつぁんのスバルレオーネと同じ排気量ですよ。当時のレオーネでカウンタックやフェラーリにはタイマンはれません。

とは言っても、単に作者の池沢さとし先生の歴代の愛車を主人公に載らせただけっだったのがなんとなく分かってきて、ウウゥ。

そして大人の思惑にまんまと乗って『サーキットの狼シリーズ』のプラモデルのロータスヨーロッパを買ったのでした。

『サーキットの狼』の功績

何と言っても70年代のスーパーカーブームの牽引役となったのがこの『サーキットの狼』。

デパートやスーパーでのスーパーカー展覧会、撮影会などがよく行われたのもこの頃。『狼』の影響大でしたね。これがきっかけで写真に目覚めた子供もいたでしょうね。

対決!スーパーカークイズ』なる、子供番組もありましたよね。司会は、山田隆夫夫妻。この頃は山田隆夫さんの好調期。数十年後に笑点で座布団を運んでいるとは誰も想像出来ませんでした。この後お二人は離婚されました。奥さん可愛いかったのになぁ。

おっと話が逸れてしまいました。

この番組のクイズ、家で友達と集まって見ていると、全問正解するヤツがいました。決して簡単な問題ではなっかったような思い出があるのですが。エンジン音で車種を当てるとか。

番組の目玉は最後に流れるスーパーカー数台でのサーキット1周レース?ドライバーは有名なレーサーだったような記憶が…その中になぜか池沢さとし先生が混ざっていたりするのが、子供心に「あれっ?」となっていたのですが、池沢先生もレーサーだったんですよね。

当時の地方の小学の高学年。今と違って、お受験など誰も考えない時代、ガキどもは車に夢中になりました。私も、小学校の帰宅時は、遠回りしてわざわざ国道沿いを通って帰り、車の名前を頭に刻み込んでいきました。国道を通る車の名前は全て言えたものです。なぜ学校の勉強でこの記憶力が発揮できなかったのか…。

70年代辺りの車は日本車も個性溢れていて皆、名車ばかり。フェアレディZ、スカイライン(ハコスカ、ケンメリ)、セリカ1600GTやリフトバックもカッコよかった。バイオレット、サバンナ、カペラ。皆スーパーカーに負けない魅力を持っていました。スーパーカーもどきのRX-7も。カッコよさでは今時のみんな同じデザインに見える車を凌いでいると思います。

スーパーカーファンから枝分かれ

小学生のスーパーカーブームは幾つかに枝分かれして行きました。

ひとつは『スーパーカー消しゴム』。通称『スー消し』。『キン肉マン消しゴム』の前の事です。私ら「スー消し」という呼び方はしなかったなぁ。

学校の勉強机の真ん中に筆箱を置いて、サーキットトラックに見立ててスー消しでレースをして遊ぶのです。どうやってって?分かりますよね皆さん。

『プッシュペン』がエンジン代わりです。ペンの後ろで「プッチン」とスー消しを飛ばすのです‼︎『BOXY』のボールペン、通称『プッチンペン』。みんなこのエンジンと呼ぶべきプッチンペンをブロウアップしました。ペンの中のスプリングを2個入れたり、伸ばしたり。

スー消し本体にも、滑りが良くなるように、チューンを施しました。瞬間接着剤をタイヤの接地面に塗って固める事によってツルッツルにするのです。

そしてプッシュペンでスー消しを弾く時、さけぶのだ。

「慣性ドリフトー!」「幻の多角形コーナーリングー!」

小学生満喫って感じでしたね。

ガキが恋に目覚める直前の貴重な時期でもありました。

『サーキットの狼』からの卒業 そしてRCカーとの出会い

『サーキットの狼』も流石島レース編が終わった辺りから、小学生の私の心から離れ始めていました。揃えていた単行本も、風吹がF1に乗る頃には買わなくなり、少年ジャンプも買わなくなっていました。

しかし、時を同じくして、我々の前にラジコンカーブームが到来したのです。

放課後、学校のアスファルト部分で6輪タイレルをカッコ良く走らせるK君。この頃はまだ「ティレル」ではなく「タイレル」と呼ばれていた記憶があります。

お年玉が貯まるの待って、機は熟したと、遂に購入したのは、タミヤのラジコンカー「1/12ポルシェ934RSRターボ‼︎

しかーし、乾電池式だー!360モーター なのだ。めちゃめちゃ遅かった!タイレルに勝てね〜⁉︎

後発の商品タイレルや、ポルシェ935は380モーターに、ニカドバッテリー搭載だったが、私はやっぱりポルシェのカエル顔のほうがどうしても良かったのです。

ここからニカドバッテリーとABSバンパーにチューンして、ラジコン仲間に対抗したのです(モーターは360モーターのまま)。まさにロータスヨーロッパで12気筒スーパーカーに挑む風吹裕矢を自分に重ね合わせたのでした。なんちゃって。

スーパーカーファンはその後どうなった?

スーパーカーファンも中学生になっていったワケです。

その後、彼らは立派な車好きの大人になったのでしょうか?

私のようにラジコンカー辺りで飽きていったくち。

中学生なのに毎週車の雑誌『ホリデオート』を買って『シャコタン』に憧れるも、模型をシャコタンにして我慢する、ちょっと不良っぽい車好き君。

今はみんなどんな車に乗っているのでしょうね。

小学生の時、私は思っていましたよ。最初にジムカーナのライセンスを取って、B級を取ってA級を取って…etc。

そんな私は約30年、ペーパーです。

だっふんだ〜〜〜  以上。

皆さん、すいませんでした。

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