日本がバブル景気に湧いた頃の思い出(貧乏編)

あなたのバブル景気の思い出はどのようなものですか? 就職、青田買いで余裕でしたか?

それとも「ジュリアナ」で踊り狂っていましたか?

地上げで、都心の土地を高値で売って引っ越した方もいらっしゃるかもしれません。

なのに、私は超貧乏だったというお話です。

あなたのバブル時代の思い出と照らし合わせて懐かしんでみてください。

何か、出口の見えないような現在の日本で生きて行く中で、何かきっかけになる発想が、あなたの頭に閃いていただければ幸いです。

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あなたにとって、バブル景気と言えば何を連想しますか?

日本がバブル景気に湧いていた頃の私といえば、江東区の四畳半風呂なしトイレ炊事場共同という、バブル景気などなんの関係ない生活をしていました。

とは言うものの、身の回りではバブル景気の影響を肌で感じる事が出来ました。

地上げ屋悲喜交々

お隣のボロ屋やから、とこどき、暖かく賑やかな家庭の音が聞こえてきていたのですが、いつからか、そのお隣から、わざとらしい咳がゲホーン、ゲホーンと絶え間なく聞こえてくるようになりました。

あれは、悪い地上げ屋の嫌がらせだったんじゃないかと思いますが、頑張って毎日咳き込んでいた嫌がらせ屋さんも、自分の人生を顧みちゃったりして虚しくなったりしなかったのでしょうか。

って他人の人生心配してる場合か!

当時の地上げ屋は金に糸目をつけ付けずに大枚叩いて土地を物色していたので、都心の自分の土地と家を売って郊外や田舎に越した人の中には、後のバブル崩壊を考えても、結果的には、凄く得をされた人がいらっしゃったのでしょう。

ウォーターフロントって

この地上げによる土地開発によって、都心に近い江東区や中央区の佃島あたりが開発され、高層ビルが建ち始めました。

いつしかその周辺は『ウォーターフロント』と呼ばれ始めました。

門前町の駅前を歩いていると、安岡力也さんが歩いているのを発見。

その後、テレビで安岡力也さんがゲストの番組で「オレのまちはウォーターフロントだワハハ」とかなんとか言っていた記憶があります。

今は、どこからも聞こえてきません。『ウォーターフロント』という呼び方。

バブル景気の就職

バブル景気の時は就職が楽でした。

専門職でも未経験者OKの業種多数ありました。

しかし、バブル崩壊の後の面接では、面接官は私の履歴書を見て、「バブル入社組か…」などと曰われまして、

私「うぐぐっ…」

バブル景気の日本の芸能界

バブル景気といって思い浮かべるのは、なぜだか『アン・ルイス』さんです。

吉川晃司さんやチェッカーズや荻野目ちゃんを引き連れて、夜の六本木でブイブイってイメージ。(あくまでイメージです。しかもかなり遠い所から想像してますw)

四畳半風呂なしアパートで『夜のヒットスタジオ』で歌うアン・ルイスを観ながら、ピーピーピーと弱音を吐いて「ろくなもんじゃね〜!」と叫びたかった昭和の終わりでした。

ソフトスーツを覚えていますか!

バブル時代といえば、サラリーマンの人も「ソフトスーツ」と呼ばれる、肩パットが入っていて、ベントの入っていない角ばったスーツを来ていましたね。

たしか女性も、そんなんだった気がします。ワンレンで。

吉川晃司さんだけではなく、おしゃれな人はみんな来ていました。

今、着てみると「はずかし〜!!」ってなります。(汗)

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