倉本昌弘選手にマスターズ出場して欲しかった。

massy

倉本選手のデビュー後の大活躍の頃、近所の酒屋さんにお願いして頂戴した倉本昌弘選手のポスターです。「yes,Massy!」プロゴルファーがコカ・コーラのコマーシャルに登場するのは当時としては画期的なことでした。

そして、本当は活躍のご褒美として倉本昌弘選手はマスターズトーナメントに招待されて、オーガスタのフェアウェイを胸を張って歩くはずだったのです。

倉本昌弘選手にマスターズ出場して欲しかったと思っているのは私だけじゃないはず

現在、JPGA会長の倉本昌弘プロ。

彼は、AON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)に引けをとらない成績を残している日本を代表するプロゴルファーの一人です。

日本ゴルフツアー通算30勝で、数少ない永久シード保持者です。

その倉本昌弘選手が、巡りあわせが悪かったのだと思いますが、なぜかマスターズトーナメントに招待されずに出場することができませんでした。

ほんとにほんとに不憫でなりません。

その悔しさが、もしかしたら、自分がJPGA会長になって日本のゴルフ界を変えてやろうと思ったのかもしれません。

ほんとに、オーガスタを胸を張って歩いてほしかった、倉本プロ!

倉本昌弘選手がオーガスタを胸を張って歩く姿はさぞカッコよかったに違いない。

AON(青木・尾崎・中嶋)の三人に引けを取らない実績を残している、現JPGA会長の倉本昌弘プロですが、彼は不思議な事に1度もマスターズに出場していません。

倉本プロの当時の成績からしたら、マスターズに1度くらい出場していてもおかしくないはずですが、うまい具合にタイミングが合わなかったとしか言いようがありません。

81年出場の鈴木規夫プロ、80年出場の中村通プロ、どちらも賞金ランキング2位でマスターズに行っています。

後の成績を見ても倉本昌弘プロがマスターズ出場を叶えられなかったのがなんとも悔しい。

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80年代のマスターズ招待の条件とは

80年代当時、私はアメリカのUSGAが、勝手に日本の賞金ランキング1位と2位の選手にマスターズの招待状を郵送して来るものだと思っていました。

しかし、そうではなかったのです。

当時、そういえば、どうやって選手の自宅の住所を知るのだろうと不思議に思ったものです。

賞金ランキング2位か、それとも国内メジャー2冠か。

80年代の日本プロゴルフツアープレーヤーのマスターズからの招待状を受けられる条件は、前年の日本ツアーの賞金ランキング1位と2位

というのが通例になっていました。(例外では中島常幸選手が1977年にランキング5位で翌年のマスターズに出場しています。)

倉本選手は81年、ツアーの途中からデビューし、後援競技を含め年間6勝を挙げて、ランキングは青木功選手に次いで2位になっています。まさにセンセーショナルでした。(デビューの頃の石川遼君と同じくらい…かな?)

この結果を見せられて私も、翌年のマスターズに倉本選手が出場して活躍する姿を見られるものだと思っていました。

ゴルフ雑誌もその気になって、倉本選手がマグノリアレーンに通って行くまでの短編小説みたいなものを載せたりしていました。(確か、月刊ゴルフダイジェストさんだったはず)

しかし、倉本選手にはマスターズ委員会からの招待状は届かず、前年賞金ランキング8位ながらも「日本オープン」「日本シリーズ」の国内メジャー年間2冠を獲った羽川豊選手に招待状が届きました。

メディアや他の選手の意見もカンカンガクガクでした。

賞金ランキング2位か?

それとも

国内メジャー2冠か?

どちらが招待されるべきか?!

正直、私は倉本選手にマスターズに出場してほしかった。

しかし今では国内メジャーの栄冠の重さも知ったので、羽川豊選手で決しておかしくはなかったと思います。

事実、1977年中島常幸選手はランキング5位でしたが、日本プロゴルフ選手権に勝って、翌年のマスターズに招待されています。

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実は、この頃のマスターズの日本人の特別招待の仕組みは、日本の協会(JGAだったかJPGAのどちらか忘れましたが)側がマスターズ委員会に推薦した選手をマスターズ委員会から招待するというものでしたので、なんだか釈然としないものが残ったのでした。

この当時はまだ世界ランキング制度がなかった時代です。

もし仮に、1981年当時に、世界ランキング制度があったとして、世界ランキング50位以内という現在のマスターズ出場資格があったとしたら、

日本のツアーとはいえ6勝をあげた倉本選手は世界ランキング50位以内に入っていたと思います。

録画収録のアップダウンクイズ

82年1月の事。羽川選手にマスターズの招待状が届いた後だったでしょうか。

人気クイズ番組のアップダウンクイズのシルエットクイズのゲストが倉本選手でした。

最初はゲストの影絵のようなシルエットが見え、分からないと本人からのヒントが出されます。

倉本選手が出したヒントは確か「毎年4月にアメリカジョージア州で行われるマスターズトーナメントに出場する夢がとうとう〜」とかなんとか言ったところで、回答者の坂上二郎さんが「へへへ、倉本昌弘さん‼︎」とバシッと正解回答したのでした。

番組の終わり間際に二郎さんが倉本昌弘プロに対して言ったセリフが「マスターズ頑張ってね‼︎」

放送日には既に羽川豊選手の出場が発表されていたはずです。だっふんだ〜。

当時のゴルフ雑誌に載っていた話です。

確か私はこの記事を読んだ後で、テレビで倉本昌弘プロが出演した「アップダウンクイズ」を観た記憶があります。

羽川豊選手はその年のマスターズでモヤモヤを振り払うかのように15位と健闘し、翌年の出場権を獲得すると同時に「世界のレフティ」という、ちょっと重い名称を与えられたのでした。

ちなみに私は、青木功選手と羽川豊選手の、「インパクトまではベタ足」のスイングを真似て膝を痛めて病院へ行きました(爆)

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倉本昌弘選手の意地の全英オープン4位

倉本選手もこの一件で腐る事なく、この年の全英オープン日本人プレーヤー歴代最高の4位に入り、優勝したトム・ワトソンのキャディーから「俺があいつのバッグを担いでいたら、あいつを勝たせる事が出来たぜ」と言わせたのでした。

ロイヤル・トルーンを、「ブラック・アンド・ホワイト」のどデカイ2匹の犬をあしらったベストを着て、堂々と胸を張って歩く「ポパイ」の姿はカッコ良かった。グッときた。

帰国直後の日本プロゴルフ選手権にも楽勝し、溜飲を下げたのでした。

ありがとう倉本昌弘

ありがとうポパイ、

あえてMassyではなく。 

倉本昌弘選手のスイング

倉本昌弘さんの若い頃のスイングの特長はトップでクラブが立っていることと、左足かかとを上げるヒールアップを利用したウェイトシフトでした。

クラブが進化した現在は、倉本選手のようにヒールアップする選手が減っているように見受けられます。

ちょっと寂しい気がします。

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