台湾映画『KANO』を野球の映画として観た感想。ネタバレ注意

台湾の野球映画『KANO』をご覧になりましたか?

この記事は、『KANO』が日本で公開された時に書いた感想記事に、7年後に久しぶりにもう一度、映画を観直して追記したものです。囲み部分が7年後に追記した分になっています。
 

台湾映画『KANO』を観てきた時の感想です。

家を出るところからを記録することで、この映画が上映されていた時期の空気感までも残しておこうと思いました。

余計な話と感じたら、飛ばして読んでいただけたら幸いです。

自分のイデオロギーを消し去って、野球映画として観る 台湾映画『KANO』

今週は金曜日が仕事休みだったので台湾の野球映画、『KANO』を観てきました。

私は映画もドラマもあまり観ないほうなのですが、インターネットで偶然この映画『KANO』の存在を知り、まんまと乗ってしまったという事です。

戦前の日本統治下の台湾で、1勝もした事のなかった学校(嘉義農林学校)の野球チームが異なる民族の混成チームで勝ち進み、甲子園大会の決勝戦まで駒を進める。

保守系のネット番組でこの台湾映画を取り上げていたので、大まかなストーリーは分かっていましたが、(というより、ストーリーを初めから分かった上で見る映画にも感じられました)一旦頭の中をすべてを白紙にし、政治的イデオロギーを消し去って観てみようと思いました。

ところが、家を出てiPhoneにヘッドホンを差し込み、Radiko.jp(ラジコ)でラジオ放送を聴きながら、駅までの道のりを歩こうと思い、「ラジオ日本」を選局したところ、いきなり「KANO」の話題で盛り上がっているではないですか。(マット安川さんの番組です)

ここで直ぐさま方針転換w

『KANO』についての話を最後まで聴いてしまいました。

とはいえ、政治的な観方をすると観る人それぞれのイデオロギーや立ち位置から、評価が変わると思うので、私は別の方向、ひとつの野球映画として感想を語ってみようかと。

7年後の追記)
『KANO』は公開当時、政治系(国際問題)の番組で取り上げられていました。

日本が統治していた時代の台湾での実際にあった話が題材ということ。

そして、日本の統治を、悪いものとしては表現していない。そして今でも台湾が親日である点。

それが、ある国とは対照的である点を、その手の番組では、この映画の素晴らしさとともに語られていました。

私は、最初にこの感想記事を書いた時その手の「親日」「反日」についても書こうと思ったのですが、コメント欄が荒れるかもしれないという、軽い恐怖感から、ブログを始めて間もない事もあって書きませんでした。

が、追記部分では、少し触れてみたいと思います。

朝鮮と満州の学校からも甲子園に出場していた

冒頭の甲子園での入場、整列の場面では『京城』(京城商)が整列しているのが確認できます。
「京城商」は朝鮮半島の現在のソウルにあった学校です。

場内放送では「大連商」とも聞こえて来ました。

「大連商」は中国大陸にあった満州の学校です。

この二つの学校は、内地人(日本から移り住んだ日本人)が通う学校だったようです。

これらの学校が、現地の人(満州人、朝鮮人)も入学できて、野球部にも当然のように入部して日本人と一緒にチームを編成していたのなら、また違った話になったかもしれません。

映画監督は、意図的に「京城商」と「大連商」を目立つシーンに入れたような気がしてなりません。
何かメッセージがあるような気がするのです。

あなたはどう思いますか?

そして、この二つの学校と違い、台湾代表の「嘉義農林」だけが、漢人(中国人)、万人(先住民族)、日本人の混成チームで大会に出場しているところがこの映画のベースになるテーマなのでしょう。

日本人の映画監督ではな、台湾人の映画監督による台湾映画だからこそ、この映画に価値があるとも感じました。

台湾の俳優さん、日本語頑張ってるけど聞き取れないところが…

『KANO』に出演している台湾人の若い役者さんはとてもいい。

日本語も頑張っています。

声をあとから当てているシーンは口の動きが合ってないのが分かったので、苦労したんだなぁと思いました。

そして時々何言ってるか分からない事があった。のですが、前後の脈絡で分かりますので分からなくても問題ありませんでした。

実際は、どうだったのでしょう。当時、既に日本統治が始まって、34、5年経っていた訳で、台湾の方々の日本語の浸透具合は。

ここに登場する球児たちは生まれた時からすでに日本語世代だから、日本語ネイティブのはずですが、なまった日本語でも、私は微笑ましく感じました。

台湾に旅行すると、親切なお年寄りが、流暢な日本語で、声をかけてくるという話をよく聞きます。

控えめなほろ苦い恋物語がいい

この映画の感想ですが、最初は、他の方の感想文とは、ひと味違うものとして書こうと思い「野球映画」として感想を書きました。

追記にに関しては、足りなかった部分の感想も書いてみます。

それは、やはり「恋」でしょう。

映画には欠かせない部分です。

投手の呉明捷くんには幼なじみの女子がいました。

自転車の2人乗りで田んぼの中の道を走る2人。

ここで観ているこちらも思春期に戻り、キュンとさせられます。

しかし、この可愛い女子は、若くして誰かの嫁に行ってしまうという切ない展開…。

こういったサイドストーリーが映画のいいスパイスになっています。

この娘さんも「嘉義農林」(呉くん)の甲子園での活躍を遠い台湾からラジオを聴きながら応援するのです。

嘉義の町は盛り上がっていきます。

大江君がでる度に涙が

日本語セリフが聞き取りずらい大江君(台湾人の役者さんだと思います)の存在感がいい。

嘉義農林が甲子園出場を決めたあと、この大江君がいろんな場面で出てくるのですが、なぜか大江君が出てくると、反射的に私の目に涙が…。

え?そこじゃないだろ?て言葉が聞こえてきそうですね。まぁポイントは人それぞれってことで。

この私の涙腺が緩んだのには、 布線がちゃんとあるのです。(すでに観た人はご存知のとおり)

嘉中との練習試合!

キャッチャーの大江くんが

「この試合、どんなことがあっても、絶対に勝とうぜ!」

と叫びます!

しかし、反撃のはずの最終回に大雨が降り出し中止になってしましい負けに終わってしまう。

これが前振りになって、大江くんの悔しさ、嬉しさが、彼が登場するたびに、じわっと戻ってくるのです。

この練習試合が最長学年である大江くんと斉藤くんにとって最後の試合だったのです。

したがって、この2人は甲子園に行けなかったのですが、その後もたまに登場します。

甲子園出場を決めた後輩たちに2人が合流するシーン!

監督:「大江、斉藤、入れ!」

その時、彼らを見ると、私の琴線に何かが触れるのでした。

なんでしょう?

私も幼い頃に少年野球で、補欠以下の選手登録もされずに大泣きした記憶があります。

だからかなぁ。

体よすぎるぞ、監督と八田與一

時を同じくして、八田與一らが計画し作り上げた烏山頭ダムから嘉南平原への出水が始まる。

用水路にはダムからの水が流れてくる。

そして船に乗った八田先生の姿も見える。

カッコいい八田先生。

思った事。

映画だから登場人物はかっこいい方がいいに決まってます。

でもです。私は思ったのです。

永瀬正敏さん、大沢たかおさん、ジムに通い過ぎじゃないですか⁉︎

永瀬正敏さんは貫禄をだすために、お腹の部分に何か入れてる?

永瀬さん1966年生まれだそうだからアラウンド50か、なんか信じられない時の流れの速さ。ならばあれが普通か。

特に大沢たかおさん、八田與一さんはダムの建築作業を手伝い過ぎてナイスボディーになったという設定か?

ムキムキやないか!

しかしそれはそれでかっこいい。

八田與一氏は実在した人物で、台湾に烏山頭ダムを創り上げ、台湾の農業の発展に力を注いだ人物です。

ご当地の台湾では、銅像もあり、尊敬されている人物です。

呉君は野茂ファンか?

ピッチャー役の呉君を演じている方は役者さんではなく、本物の台湾21歳以下代表の野球選手だそうですが、投球フォームが何処と無く、「野茂トルネード投法」を思わせます。

もしや野茂ファン?

でも野茂さんの活躍は17、8年前だから私の思い過ごしだろうか?

追記)呉くんの投球フォームが、野茂さんのように、後ろを向くような投げ方だったので、私はこの映画を観た当時、こんなことを書いたのですが、

実際の呉明捷投手のフォームも大きくテークバックをとって投げ下ろすフォームだったとwikiに載っています。

つまり、呉くんを演じていた役者さんは、野茂さんではなく、本当の呉明捷投手のフォームをイメージして投げていたと想像できます。

私の考えが浅かった。

1931年の甲子園球場と王貞治物語

物語の後半には当時の甲子園が舞台になります。

そこで私は思った。

甲子園の土が粗くないか?

私には映画の中の甲子園の土が、砂というか、大袈裟にいうと細か目の砂利に見えてしまいました。

呉君が、出血した指の滑りを止めるために、マウンドの土に指をズッと差し埋める時の土が小砂利っぽくて本当に痛々しい。

このためだったのか!違うか。

そして物語の見せ場は、呉君の指の怪我を圧しての血染めの投球‼︎

これは野球ファンならご存知と思いますが、台湾でも英雄の、世界のホームラン王、王貞治さんの実話です。

早稲田実業高校の投手時代の、甲子園大会で指のマメから出血しながらの熱投をした実話が元になっています。

小学館から出版されていた「王貞治物語」は小学生だった私のバイブルでした。

歳がばれる‼︎(映画の冒頭でフィクションを加えているとテロップが出ていましたが、このあたりもそうなのでしょう。

クレジットのスペシャルサンクスのところに、王貞治さんと元中日ドラゴンズの郭源治さんの名前がありましたので、たぶん、郭源治さんの野球のエピソードも物語の中に取り入れられているのでしょう。)

追記)呉くんの指の怪我は実話だった。

甲子園で、指の怪我を押して熱投するピッチャー。

これを観て、私は真っ先に高校時代の甲子園での王貞治さんの実話を取り入れたのだと、勝手に思い込んで感想を書いていました。

だってそっくりなんですもん。

しかし〜!

呉明捷投手が、決勝戦右手の指の怪我を押して熱投した話も実話だったということを知りました。

いや〜、決め付けはいけませんね。反省しました。

特撮好きの悪い癖

映画に付き物の特撮シーンですが、近頃はVFXとCGが主流になりつつあります。

私はついついストーリーから離れて画面の細部を見てしまうのです。

シーンの甲子園の観客、CG合成を。

ピントをボカした観客のウチワの扇ぎ方はおかしくないかとか、人の不自然な動きはないかとか…。

またまた誰かが言う。

「見るべきところはそこじゃないだろ‼︎」

ラストシーンの客船の甲板での野球のシーン。

客船が台湾に向かって帰って行くシーンの船と背景のCGの合成は、CGスタッフの見せ所でもあり、CGの出来如何で、このラストを昇華させるか、平凡ににしてしまうかの大事な役回りだったように思います。

VFXとCGは大役を果たせたのでしょうか。あなたはどう感じましか?

感想を書いた後でメディア情報を見直すと

このページを書いた後で、ネット記事やYouTubeで「KANO」のメディア情報やインタビューをざっと見てみると、甲子園の土の話など、細かな事情が分かりました。(甲子園の土の感じが出せず、タイヤを細かく砕いて混ぜたのだそうです。

敢えて情報を頭に入れずに感想を書いてみると、自分がいかに作者の意図を汲み取っていないかわかりますw

今年は映画も野球も観る機会を増やそうかな。

またまた「そこじゃないだろ‼︎」

あっ、はい。

追記)気になったこと

永瀬正敏さん演じる野球部監督の近藤先生が劇中で、

「勝ちたいと思うな。負けられないと思え!」

と選手たちにハッパをかけていました。

この考えは正しいのだろうか?

今の世の中なら

勝ち負けではなく、自分のベストのパフォーマンスをすることを考えろ!

なんて、コーチングするところだと思います。

「負けられない」と思うと、「負け」を意識してビビってしまうのは私だけでしょうか?

あなたは、どう感じましたか?

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