プロゴルファー村上隆が活躍したAOM時代をあなたは知っていますか?

日本のプロゴルフツアーを牽引してきた何人もの名プレーヤーたちの中に、忘れて欲しくない選手がいます。

それは、70年代後半に大活躍した村上隆選手です。

もし、あなたがゴルフ関係のマスメディアでの仕事を志望しているなら、チェックしておくべき日本ゴルフ界の重要なプレーヤーです。

村上隆プロは、第5回日本プロゴルフ殿堂入りを果たされました。

ただの一般人の私の思い出を交えて、プロゴルファー村上隆さんを語ってみたいと思います。

村上隆といえば栄光の4冠王なのです。ポップアーティストではありません。

1980年前後、中学生の私にゴルフブームが起きました。といっても、地方の一般家庭のいち中学生、親もゴルフなどやらないという環境なので、テレビを見るか、出版物を追いかけるだけだったのですが。

そのころ地元に市立図書館が建ちました。私のゴルフの情報の収集源は主にここ。

市立図書館のスポーツの棚で手に取ったゴルフの本の中の一冊に、村上隆プロの本が有りました

今は便利な時代になりました。

インターネットで遠い記憶を探ってみると、その本の名前は、村上隆の 「マイ・ベスト・ゴルフ」

今となってはかなり希少な本です。 中1の私は、その本を借りて帰ってゴルフの情報収集のために読み進めていくと、この方、村上隆プロが凄いゴルファーなのだという事が分かってきました。

マイ・ベスト・ゴルフ

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村上隆プロの栄光の奇跡

本の内容は薄い記憶を辿ると、村上プロが、アーノルド・パーマーのスイングを間近で見て、パーマー選手の、両肩が入れ代わるようなスイングを自分も取り入れてみたところ、ボールが目標より右に飛ぶようになり、シャットフェースを採用してみたところから、村上プロの飛躍が始まったとか…。

向かい風の時にはクラブフェースのトゥで打つとか(フェースのトゥで打つとギア効果が働いてボールが右回転します)とか、AO(青木功プロ、尾崎将司プロ)との戦い方などについて、そして海外での試合、マスターズワールドシリーズハワイアンオープンでの活躍の話。

1975年には日本プロマッチプレー、日本プロ、日本オープン、日本シリーズの国内メジャータイトルを1シーズンで獲るという偉業をやってのけその年の賞金王に。その前後の年は賞金ランク共に2位。
マスターズにも出場(37位)1976年のワールドシリーズでは最終日優勝争いに加わりながらの9位。
1977年のハワイアンオープンでは、青木選手以前の最高位の2位に。

堂々たる成績だと思います。

トップをキープする事の難しさ。村上隆がいない!

中学生の私は毎週末、ゴルフ中継を見始めたのですが、村上プロが一向に画面に現れません。なぜだ!なぜなんだ!

この年の日本のプロゴルフ界の状況はというと、尾崎将司プロの長いスランプの入り口の年
青木功プロが全米オープンでジャック・ニクラウスと死闘を演じて2位になり、湯原信光選手と羽川豊選手がプロ入りし、翌年、倉本昌弘選手と共に若手三羽ガラスとしてブレイクする1年前の年です。

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倉本昌弘選手にマスターズ出場して欲しかった。

ゴルフ雑誌も読み始めたのですが、「むらかみ」の「む」の字も出て来ません。つい3、4年前まで日本ゴルフ界を引っ張っていた選手が。

シード圏内の賞金ランク30位以内にも入っていませんでした。

ツアープロとは本当に厳しい世界です。

多分、故障があったのでしょう。

インターネットで探しても、その頃彼に何が起きたか知る由もありません。

それから数年して、村上隆プロのプレイする姿を初めて見ることができました

「東北クラシック」の歴代優勝者のスキンズマッチを仙台放送でやっていたのです。

担ぎ上げるようなバックスイング。

水原弘のようなもっさり感。

この人が「AO時代」に割って入って来たレジェンドなんだ!ちょっと地味だが渋いと思いました。 村上隆プロの活躍と存在はその後の「AON時代」を経て忘れ去られていましたが、90年代位だったでしょうか、トーナメントの解説者として元気な声を聞かせて頂きました。

覚えている人は60代位の方々でしょうか、「AON時代」の前に「AOM」の時代があった事を。

ゴルフメディアが語り継がなければいけないものとは

この時代以前の日本のゴルフ事情を知っているゴルフジャーナリストさんやファンの方々も皆、御高齢になられて少なくなっていらっしゃると思います。

今回、ネットで調べても1984年以前の日本男子ツアーの賞金ランキングの5位から下のランキングが探せませんでした。

現在の事象を伝える事だけがジャーナリストの仕事ではないと思うのです。

日本のゴルフ界には過去にドラマを作ったレジェンドが何人もいました。

それを語り継いでいって欲しいものです。

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