スポーツで大成功をおさめた有名選手の中には、その大成功した競技をやる前には、別のスポーツをやっていた、とういう人がかなりいます。
どんな経緯で、どんな理由で競技を転向することになったかは、それぞれ様々ですが、私が知っている限りの話と、少し調べてみたものを紹介したいと思います。
転向大成功!ジャンボことプロゴルファー尾崎将司選手
「ジャンボ」ことプロゴルファーの御大、尾崎将司選手がプロゴルファーになる前は、徳島海南高校のエースとして甲子園春のセンバツ大会の優勝投手だったことは、おじさんゴルファーなら知っています。
その後、西鉄ライオンズに期待の星として入団しますが、野球選手としては花開くことができませんでした。
同期入団に池永正明投手という凄い選手がいて、その投球の凄さを見せつけられて投手としては自分は無理と判断します。
途中で投手を諦め、打者に転向しましたが、尾崎将司選手は、同じ頃にゴルフに出会ってから、一気にそちらにのめり込んでいきました。
よほど、ゴルフとの相性が良かったのでしょう。
尾崎将司青年は、(実は結婚していたが独身と偽っていました。)単身で上京し(千葉の習志野ですが)、修行の後、プロテストに一発合格。
その後はそのダイナミックなドライバーの弾道から、登場日本に導入されたボーイング747の通称ジャンボジェットから「ジャンボ」とニックネームをもらい大活躍しました。
ジャンボ尾崎がいなかったら、現在の日本のゴルフ界は今とは違っていたでしょう。
弟の尾崎健夫プロも期待の高校球児だった
尾崎ブラザーズの次男、尾崎健夫プロ。
現在の状況では坂口良子さんの夫、坂口杏里の継父としてのほうが若いかたには分かりやすいかもしれません。
しかし、尾崎健夫プロも飛ばし屋として、活躍したゴルフファンなら誰もが知っているトッププロです。
尾崎健夫プロも高校生の時にはピッチャーとして活躍し、ヤクルトスワローズから、ドラフト3位指名を受けています。
同じくゴルフの岡本綾子プロ
またまたプロゴルファーですが、アメリカ女子ゴルフツアーで賞金女王になったこともある岡本綾子プロですが、プロゴルファーになる前は、ソフトボールの名選手で、実業団チームではエースで4番を任され、国体でも優勝しています。
ソフトボールのピッチャーの下手投げのあのフォームとゴルフのスイングは共通点が多そうです。
手を後ろに上げた形と、ゴルフスイングのトップのタイミングの取り方など、似ていますよね。
国体つながりでは芹澤信雄プロ
芹澤信雄プロも国体に出場しています。
ゴルフでの出場ではなく、なんとスキーです。
静岡県の御殿場出身の芹澤信雄プロですが、かつては御殿場にもスキー場があったようで、芹澤プロもそこでスキーの腕を磨いたのかもしれませんね。
他の競技からプロゴルファーを目指した人たち
プロゴルファーは、強ければ50代でも活躍できます。
始めるのが遅くてもプロになれる可能性のある競技です。
現在では、プロテストに合格しなくても、プロ宣言し、招待出場などして結果を出せば、ツアープレーヤーとして活躍すればプロゴルファーという立場になれます。
しかし、そんな人は稀です。
甘くはありません。
他の競技からプロゴルファーを目指した人は、
礒貝洋光さん
Jリーガー、ガンバ大阪、浦和レッズ、日本代表でも活躍した礒貝洋光さん。
ゴルファーとしてプロ宣言しましたが、ツアーでは予選を通ることはありませんでした。
ブル中野さん
ブル中野さんは一時、アメリカに渡りゴルフ修行しましたが叶えることができませんでした。
宝来麻紀子選手(バレー)はどうなった?
かなり前にテレビスポーツバラエティで、女子バレーの宝来麻紀子さんが引退後にプロゴルファーを目指していると言っていた記憶があったのですが、どうなったのでしょう?
本人のブログによると、手の怪我で練習ができず、プロゴルファーは諦められました。残念。
デーブ大久保さん
元西武ライオンズ、読売ジャイアンツで活躍したデーブ大久保さんは、プロ宣言してツアーに参戦しましたが一度も予選を通過しないまま、野球界に戻っていきました。
2017年は翌年の出場資格を取るためツアー予選会に出場しましたが、セカンドQTを突破できませんでした。
野球選手からプロレスへ転向、ジャイアント馬場さん
ジャイアント馬場さんが巨人軍のピッチャーだったなんて驚きですよね。
いったいどのぐらいの速球を投げていたのでしょう。
大谷翔平選手の身長で、あの豪速球ですから、それを考えると馬場さんはスンゴイ速球投げていた!と思いたいですよね。
ツービート(ビートたけし)の漫才のネタで、馬場さんが投球したら、キャッチャーの頭を掴んじゃった。っていうネタ、最高です。
馬場さんは風呂場で転んで肘を痛め、野球をやめました。
その後のプロレス転向です。
相撲からプロレスへの転向は多い。
他の格闘技からプロレスへの流れはたくさんあります。
特に相撲、古くは、力道山、豊登、天龍源一郎、力皇、他にもたくさんいます。
思い出深いのは、元横綱の輪島さん。
借金返済のための、やむなくのプロレス入りでしたが、黄金色のショートタイツで良く頑張ったと思います。
デビューに向けてトレーニング中に、ちゃんとレスラーの体に仕上げてきた時は軽く感動しました。
惜しかったのは、レスラーとして活躍中に、前歯が一本なくなってしまったことでした。
ラガーマンからプロレスラーに
ラグビーの選手からプロレスラーになったのは阿修羅原さん。
ジャンボ鶴田さんはバスケ
ジャンボ鶴田さんは高校時代はバスケットボールでインターハイにも出場しています。
大学入学後もバスケットボールをしていますが、大学在学中にアマレスに転向して、あっという間にミュンヘンオリンピック代表に登り詰めています。
その後の名言「全日本プロレスに就職しました。」
鶴田さん。大した人です。
柔道からバスケットボールへ転向。岡山恭崇さん
格闘技(武道)から球技という流れは本当に珍しいのではないでしょうか。
岡山恭崇さんは、高校時代までは柔道の選手でした。(二段)
大学からバスケットを初めて代表までいけるのは稀でしょう。
岡山さんの場合、身長が並外れていたからこそではありますが、いかにして自分の長所を活かして生きていくかを教えられる事例です。
岡山さんも2018年現在、63歳になられたそうです。
柔道から総合格闘技へ。吉田秀彦さん
柔道から、プロレスや総合格闘技の道へ入っていった選手は、何人かいますが、中でもアイコンとしての役割を果たしていたのは、オリンピックメダリストの吉田秀彦選手でしょう。
ホイス・グレーシーを落とした時には、柔道の強さを証明してくれたような気分を日本人に味あわせてくれました。
吉田秀彦選手は、道着を身につけて総合格闘技を戦っていたので、柔道家がそのままリングに上がっている感じがまた、日本人の心を揺さぶったのだと思います。
今は政治家、橋本聖子さん
スピードスケートの選手だった橋本聖子さんは、なんと並行して自転車競技でもオリンピックに出場しておられました。
てっきり、スピードスケートを引退後に自転車競技でオリンピックに出場したのかと思っていましたが、
スピードスケートでオリンピックに出場したのが、
- 84サラエボ
- 88カルガリー
- 92アルベールビル
自転車でオリンピックに出場したのが、
- 92バルセロナ
- 96アトランタ
連続で出ています。
スピードスケートのトレーニングとして自転車漕ぎが効果があったので、このようなことが可能になったのです。
当時、橋本聖子さんに出場資格を奪われてしまった選手が、ずっと自転車競技一本で長く続けていた選手でしたので、その選手への同情心から、少し賛否があったのを覚えています。
まあ、スポーツの世界も実力の世界ですから仕方がありません。
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