この頃、巷でとても熱い!卓球というスポーツ。
私が部活動で卓球をやっていた頃とはずいぶんと卓球のイメージは変わった!
80年代に県大会団体戦を最後に引退し、ラケットを後輩に譲ったあと、ほとんど卓球から遠ざかってしまった私が、21世紀に卓球という競技を眺めてみると、まるで浦島太郎になったかのような気分になりました。
卓球も、その周りの環境も、卓球に対するまわりの視線もずいぶんと変わったものです。
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卓球のイメージがスタイリッシュなスポーツとして認知され始めている。
福原愛選手や石川佳純選手など、卓球をしない一般の人達にも名前の言えるプレーヤーが現れ、テレビ中継の時のテレビ観戦者のツイートを見ていたら、みんなが興奮して試合を観戦しているのが伝わってきました。
リオ・オリンピックでの水谷隼選手のプレイを見て、卓球って力強くてスタイリッシュなスポーツだと、認識を改めた人たちが多くいることでしょう。
もう、昔、タモリに根暗なスポーツだとバカにされたイメージはありません。
(その後、タモリさんは、卓球協会に大金を寄付されたのだとか。)
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いつから11点先取制に変わった?
数年前のある日、世の流れにつられて、久しぶりにテレビで世界卓球団体戦を見ていたら、あれ?11点5セットマッチに変わったのか?
私は卓球浦島太郎になっていたようです。私が卓球部だった頃は21点先取3セットマッチ。(又は5セット)もう30近く年前か…。
1試合は2001年9月1日より、各ゲーム11点先取の7ゲーム制(4ゲーム先取)、5ゲーム制(3ゲーム先取)、または3ゲーム制(2ゲーム先取)で行われる。ウィキペディアより引用
これはバレーボールのラリーポイント制と同様で、卓球もテレビ中継の都合を考慮しての事だそうです。
21点制ならば初めて見るサーブに面食らって5、6点リードを許しても、ジリジリと挽回していくという、精神力勝負を見る事ができましたが、11点制ではどうなのかと思いましたが、あのツイートの盛り上がりを見ると観戦するほうからしたら現在のルールでいいのかもしれませんね。
我が青春のペン表ソフト前陣速攻型選手が絶滅寸前!
テレビ中継で見る選手はなんだかシェークハンドばかりじゃないですか?
昔からシェークハンドのほうが洋風でスタイリッシュなイメージがたしかにありました。
しかし、私にとっては卓球といえば「ペンホルダー」のイメージなのです。
今は、ペンホルダーは、たまに見かけても中国式ペンホルダーの裏ソフトラバーの選手。
ペンホルダーのドライブ主戦型は遠心力が働く日本式ラケットがいいという教えは今どこに。
そして我が青春のペン表ソフト前陣速攻型がもう絶滅の危機に瀕しているらしい。
ルールの変更により、ボールのサイズが38ミリから40ミリになったことで打球後のボールの初速が下がりました。
卓球台から下がらずに早い打点で攻めきってしまう。という前陣速攻型は、ラリーを増やして観客を取り込むという思惑のルール変更の犠牲になったという事でしょうか。
私は高校時代、まったく体力がなく、ドライブ主戦型から表ソフト前陣速攻型に転向してからレギュラーになれた経験があるので、思い入れのある戦型が苦戦しているのは哀しい限りです。
教則本の写真でしか見たことがなかった河野満選手、地元のオープン大会で見た糠塚重造選手のバックハンド。憧れたな〜。
それどころかペンホルダーの世界ランカーが消えそう
ペンホルダー表ソフト前陣速攻は消えてしまいました。
それを憂いている間もなく、ペンホルダーの選手すら消え始めています。
なんと男子世界ランク100位以内には、ペンホルダーの選手は2人だけという状態に。
悲しいことです。
その二人の選手は中国式ペンホルダー使用者です。
日本式ペンホルダーの選手はいません。
伊藤さ~ん!小野さ~ん河野さ~ん!斎藤さ~ん!糠塚さ~ん!
※日本ペンの名選手たち。
俺は悲しいっす!
ペンの裏面打法が極められる
ボールの変化によって、戦型による勢力図が変わった。
しかし、中国では、ペンホルダーの裏面でレシーブする打法「ペン裏面打法」が本格的に取り入れられるようになりました。
80年代にも裏面打法はありましたが、当時はペンホルダーをくるくると反転して相手を幻惑するのが主な目的で、裏面で打つのは奇襲のような場面だけだったと記憶しています。
70年代後半から80年台の卓球。
その頃、シェークハンドで両面異質同色ラバーで対戦相手を幻惑する戦法がありました。直ぐにペンホルダーの両面異質ラバーの選手も現れました。
加えて、サービスの時に打球の瞬間を自分の体で隠す、腕で隠すなどの技?が使われていました。
ルール変更でこれらは禁止になりましたが、当時は「ボールの軌跡やボールのマークを見て回転を読んでレシーブするんだから奥の深い競技だな」と思っていて、それを疑問なく受け入れていました。
しかし、これも一般人が見てもそこまでは理解できません。「どうして簡単にミスするんだろう」となってしまいますよね。見て楽しむスポーツとしては、なんでそんなに簡単にミスするの?ってなことになってしまうワケです。
卓球が暗い。そんな時代は終わった
ユニフォームはボールが見えにくくならないように単色になって(都市伝説?)いましたが、いつからか、おや!袖の色が違う!柄模様も!卓球台もブルーに。
卓球がファッショナブルでスタイリッシュなスポーツに変わっていったのです。
私が卓球をしていた頃「卓球=暗い」というイメージで部員もそれほど多くありませんでした。
暗いというイメージが徐々に払拭されていく過程ですね。(故 荻村伊智朗・国際卓球連盟会長がイメージアップに尽力されました)
卓球選手がフリー女子アナと結婚する時代が来た!
イケメン卓球選手の松平健太さんが、2020年3月16日、フリーアナウンサーの玉木碧玉木碧さんとめでたく入籍されました。
局アナではなくフリーアナウンサーの方ですが、所属は局アナの格にも劣らない「セントフォース」に所属されて活躍されています。
卓球が暗くて冴えないスポーツというイメージは、これで完全に払しょくされたと言ってもいいでしょう。
でかしたぞ!松平健太!
と言いたいところですが、ちょっとしたジェラシーも湧いてきます。
80年代には決してこのようなことは起こらなかったでしょう。
いつから「ゼロ」が「ラヴ」に!?
『とんねるず』が卓球をするお正月番組がありますよね。
まだ、福原愛ちゃん(さん)が、小さかった頃だったから、10年以上前のことかもしれません。
それを見ていると、公式の審判員みたいな人が
「ワン、ラヴ」
とか言っているじゃないですか!
私には違和感ありました。テニスか!って。
現在の選手には???かもしれません。
我々の時代は、「ワンゼロ!」ですよ。
私たち、田舎も卓球部員が間違っていたのでしょうか?
そういえば、「ラブオール」の時だけは「ラブ」を使っていました。
粒高?ラバーの呼び方もイメージ戦略?
『粒高ラバー』という呼び方にも
ずいぶんとイメージにこだわっているなあ、という印象です。
ほんとに、卓球から離れている間にいろいろ変わりました。
古い人間にとっては『イボ高ラバー』と呼ばれていました。
皮膚病の人からクレームでもあったのでしょうか?
これも荻村伊智朗さんの考えだったのでしょうか。
ともあれ、悪くはない変化です。
個人的思い出
高校時代、お隣の学区にある高校と、年に1度、運動部全体の定期戦が行われていました。
同じ体育館で半分が卓球の試合、もう半分がバスケ部の試合。
私も団体戦に出場しました。
相手選手がオーバーミス!
「よっしゃー」と叫びながらボールを拾いに行くと、制服を着た応援の一般学生の殆んどは背中向き?
おい!
体育館の2階の通路の学生たちの視線も我々の卓球の試合の上を通り過ぎバスケ部の試合を見ていました。
バスケ部:
シュートが決まる
観客「うぉー!」
卓球部:
スマッシュ!
選手「よっしゃー!」
観客「…」
まあ卓球部にモテる奴はいなかったかw
卓球がスタイリッシュなスポーツになり、これからもっと、見る競技としてもポピュラーになってくれたら嬉しいと思う、もと卓球部の独り言でした。