ユーミンの曲の歌詞を二子玉川の景色を眺めながら妄想解説

ユーミンの歌の舞台はきっとこの辺りに違いない!」20数年前、自転車でこの辺りを訪れた時、私は勝手にそう思っていました。

ユーミンこと松任谷由美さんがお住まいになっている二子玉川

すぐそこに見える景色は多摩川です。

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二子玉川駅へと渡る電車から見える多摩川の景色。

田園都市線の電車が地下を抜けて地上へ出てくると、その風景は季節によっていろんな心象を与えてくれます。

二子玉川駅のホームから多摩川を眺めていると、私の頭の中に、勝手にユーミンの曲が流れてくるのです。

春夏秋冬それぞれに重なるような曲が。

(1999年以前までは「二子玉川園駅」という名前の駅で、渋谷からここまでが新玉川線でした。)

芸能人の住んでいる場所をブログで書いたりするのはあまり良いこととは思いませんが、ユーミンさんご自身が公にしていらっしゃるので、ここでは取り上げさせていただきます。

ユーミンがなぜ二子玉川界隈にお住まいかと知ったのは、彼女の著書「ルージュの伝言」を読んだのがきっかけです。

ユーミンの曲の歌詞の中に登場する二子玉川の景色に憧れた

ユーミンの書く歌詞の中に出てくる風景に私は憧れを持っていました。

90年代初頭、お上りさんだった私は上京して、江東区のアパート暮らしだったのですが、ユーミンの歌の世界に憧れて、

実際に、二子玉川の駅に降り立ち多摩川へと足を運んでみました。

『まぶしい草野球』が見えた!旧二子橋下のグランド!

二子玉川から川崎市側へ渡る「旧二子橋」から下を覗くと、大人が草野球をしている風景をよく目にします。

このグランドは少年野球は見かけず、大人が使うグランドのようです。

この、旧二子橋下での草野球の風景を見たとき、私の頭に流れてきたのは、そうユーミンの『まぶしい草野球』

草野球に夢中な彼氏についての曲です。

私が勝手に、「もしかしたらここかも?」と思っているだけです。

  • 収録アルバム 『SURF & SNOW』
  • 4曲目 『まぶしい草野球』

『川景色』の舞台は二子玉川じゃなかったみたいな…

東京側、旧二子橋のすぐ下、多摩川の川岸に降りてみると、橋より下流側には、浅い流れの中に、「飛び石」のようなものもありました。

ここで脳内のBGMが『川景色』に切り替わります。

私は、勝手にまた、「ここに違いない!」

と決めつけました。

しかし、しかし、

本当はこの歌『川景色』の舞台は多摩川ではなく相模川の景色なのだだそうです。

そう、2021年現在ではこの旧二子橋下の辺り、残念ながら美しい流れではなくなったような気がします。

残念ながら『川景色』を聴いてイメージする清流の感じは、今は感じられません。

  • 収録アルバム 『REINCARNATION』
  • 5曲目 『川景色』

『ハルジョオン・ヒメジョオン』の「川向こうの町」ってどこ?

河原に座って川の向こう側の風景を眺めてみる。

頭の中に流れてくる曲は、

『ハルジョオン・ヒメジョオン』

ではないか?

世田谷側から多摩川越しに、川崎のまちの煙突と家並みが夕方になると切り絵になって見えてくるのだな~。(私の妄想です)

歌詞の中の「煙突」という言葉に、

工場地帯=川崎

というイメージが、私の中に勝手に出来上がっていて、

多摩川の東京側の河川敷の土手に寝転んで、川向こうの川崎の風景を見いる絵が浮かんだのです。

などと思い、当時、いつか私もこの辺りに住んでみたいなと思っていました。

  • 収録アルバム 『紅雀』
  • 2曲目『ハルジョオン・ヒメジョオン』

『二子玉川園』の『かんらん車』は今はなく

『かんらん車』は、向ヶ丘遊園の観覧車の事だと私はずっと勘違いしていました。

ユーミンのラジオ番組『サウンド・アドベンチャー』で聴取者のお便りをの中の話題が、向ヶ丘遊園の観覧車の話題で、リクエスト曲が『かんらん車』だったことがありました。

ユーミンも、そのお便りを、さらっと読み進めていたので、わたしはそこで勝手に『かんらん車』の舞台=向ヶ丘遊園と決めつけてしまいました。

ネット情報で、この間、偶然、『かんらん車』は『二子玉川園』に昔存在した観覧車のことだと知りました。お恥かし…。

私が記憶しているのは、その跡地にあった『ナムコワンダーエッグ』『いぬたま・ねこたま』

それらも今は夢の跡。現在『二子玉川RISE』に変わり、高層ビルが数本立っています。

↑二子玉川園(遊園地)の観覧車があったあたりは『二子玉川RISE』に。

ユーミンは、この景色をロマンティックな楽曲として料理することができるでしょうか。

それとも、もう創っているかもしれません。彼女にとってはあの辺は庭みたいなものでしょうから。

  • 収録アルバム 『流線形 ’80』
  • 9曲目 『かんらん車』

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『情熱に届かない Don’t Let Me Go 』の頃

『情熱に届かない Don’t Let Me Go 』がキリンビールのコマーシャルで流れていた頃91年当時、

まだバブル時代は終わっていませんでした。

私も貧乏ながらに、憧れの多摩川の近くに引っ越すことができました。

そして、会社からの帰りには、二子玉川駅で快速電車を降りて、各駅停車に乗り帰るという工程を今でもたまにしています。

「川近い駅の夕焼け」と「遠くの道路の橋桁」を二子玉川駅のホームから、眺めて失恋の記憶をよぎらせたりしています。

ちなみに、私の妄想では、「川近い駅の夕焼け」は西側の新二子橋(246号線)側の景色、

「遠くの道路の橋桁」は多摩川の下流側の「第三京浜」の橋の灯りのことだと勝手に思っています。

でも、YouTubeのこの曲のコメント欄を拝見すると、二子玉川駅に限らず、それぞれの住む「川近い駅」でイメージが重なっているのだなぁ、とユーミンの才能に感服します。

  • 収録アルバム 『DAWN PURPLE』
  • 2曲目 『情熱に届かない Don’t Let Me Go 』

東京の西側地域に憧れて

あ、言い忘れましたが、私は東北人です。

誰かから聞いたのですが、東北から来た人間は東京の東側に住む人が多いのだそうです。確かに上野に行くとどことなく、東北人の懐かしさを感じることができます。

でも私は、どうもそれが嫌だったのです。へんなコンプレックスがありまして、「寅さん」や「金八先生」的な河原の野球より、ユーミンの描き出す『眩しい草野球』のほうに行ってみたくてしょうがなかったのです。

昭和の終わりの頃

その頃私が住んでいたのは江東区の隅田川近くの家賃2万円の流し場・トイレ共同・風呂無し四畳半アパート。(門前仲町には長渕剛さんの曲にでてくる『花菱』があります)ユーミンの歌の世界とは対極に位置する生活をしていました。時はバブルだというのに。

バブルの真っ只中、四畳半フォークのような環境で、布団にくるまって、ユーミンのアルバム『ラブウォーズ』を聴くというアンバランスな生活でした。

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そして数年が過ぎ私も引越しをする時が来ました。

仕事上、風呂屋に通えなくなり、少し昇給もしたので。

そして憧れていたあの景色、多摩川の近くに越してきました。(ユーミンの住む世田谷側ではなく、「川向こう」ですがw)

そして私も思ったのです。『寝坊が出来る休日にも早起きして(私の場合釣りですが)河原へ行くぞ』と。

あれからかれこれ25年以上が経ち。

休みの日には家でぐったりしている自分がいますw 

IPhonにユーミンの曲入れて、たまには多摩川の散歩してみるか。

最近は多摩川少し汚れてしまったような気がします。

田園都市線の二子玉川駅、 旧二子橋のしたは、いつしか広い河原になり、現在では週末になるとたくさんのバーベキュー目的の人たちが訪れます。

20数年前はここには、バーベキューができるような広い河原はありませんでした。

川の流れは、川崎側に寄っており、深場もありヘラブナ釣りをしている人もいました。

逆に、世田谷側の河原のほうが丘のようになっていて、不法だとは思いますが、モトクロスバイクのコースが造られていて、いつもエンジン音が絶えませんでした。

数年に一度の大増水で、川の風景が全く別のものになりました。

今の風景になって、もう10以上経っているでしょう。

なんだか、最近、この辺の多摩川は水量も少なく水辺も汚れているように感じます。

私が、ユーミンの曲を聴いて感じた、風情はなくなってしまったようでちょっと寂しいこの頃です。

平成最後の紅白歌合戦を盛り上げてくれたユーミン

平成30年末の紅白歌合戦には、ユーミンも出演してくれましたね。

トリに登場した、サザンオールスターズと一緒にラララーラララで少々悪ノリで盛り上がっていたのが印象的でした。

平成最後の紅白歌合戦なのに、なぜか「さよなら昭和」感に満ち溢れた最後でした。

ユーミン、ありがとうございます。

こぼれ話

正やんこと伊勢正三さんをご存知でしょうか。

ユーミンに勝るとも劣らない、伝説のグループかぐや姫、風、ソロと活躍を続けているレジェンドのシンガーソングライターの一人です。

男からの視線で書かれたラブソングの作り手としては、ユーミンと双璧だと私は思っています。

上にも紹介した彼女の著書「ルージュの伝言」の中で、ユーミンと伊勢正三さんが対談した話が出てきます。

気難し屋と言われることもある?正やんに、八王子出身と言われてユーミンが「?!」となった話です。

私は東京オリンピック前に東京が変わっていく姿を見ているのよ!という気持ちが『未来は霧の中に』という曲を作らせたとのことです。

ユーミンが文中で、

伊勢正三って人がいたでしょ。

と、過去の人として扱っていたのを読んで、正やんファンの私は、軽くショックを受けました。文面からはユーミンが「フンっ!」となったように感じられました。

好きな詩を書く人なんだけど

とは書いていましたが…。

もしかして、その対談以来、ユーミンと正やんは会ってないのでしょうか?

もう一度会って対談してみてほしいな。

誰か、企画してください。

ジョイントコンサートでもしてくれたら最高なんだけど。

そんな、伊勢正三さんの思い出の話をかいてみました。

伊勢正三さんのコンサート初参戦の思い出1987年11月3日

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